どや、寿町、識字学校、大沢先生。
木曜日に25年ぶりに友人がたづねてくる。 その当時僕はある団体に勤めながら、横浜の寿町にある「どや街」によくいっていた。
どや街とは、宿という意味から来た言葉で、当時の高度経済成長時代の基本をささえた肉体労働者の街であった。 そこの近くに1軒屋を借りて、子供と街のおっちゃんのたまりばを作ろうと始めたのだ。 そして街で毎週開講していた「識字学校」というのによく顔を出していた。
たづねてくる友人は、そのころの知り合いで、彼女の言うには「僕と出会って寿町に関わりだした」という。 細かいことは忘れてしまったけど。
25年ぶりの出会いのきっかけはその識字学校の先生を長年していた大沢先生が逝去されたことでした。 そのご僕達はこの最近6年ほど、毎年ここの夏祭りの盆踊りの前に40分ほど唄うことが続いていて毎年楽しみにしている。
その時に大沢先生とは短い言葉を毎年交わしていた。 僕はここでうたいはじめるまでづーっと街を離れていたので、何か後ろめたくてあまり話ができなかったような気がした。 そんなせいか大沢先生もあまりお話をしてくれなかったけど、去年の夏祭り、初めて笑顔ですこし長めで僕に語りかけてくれたのがとてもうれしかった。
それで今年初めて夏祭りにこられなかったので心配していた。
そういう寿の街、識字学校の仲間と会えるのを今から楽しみにしている。
今、その当時の僕が録音したテープを聴いている。
「大沢先生自分を語る」という3時間の録音だ。 いつもみんなの話を聞いてコメントをするのだけど、、今度は自分を語ろう、、、といいだしてとても楽しみにしていたので、録音をしておいた。
25年たった今、そのテープの存在を彼女に話したら、こうじつ「ほしい」というひとがいっぱいでてきて、、、、、あぁお役にたてばと、とてもうれしい思いになっている。
この中では、もう今はいない、通称薩摩隼人さんの怒鳴り声もはいっていて、聴くひとによってはまた懐かしい思いを新たにするかなぁと、、、、今25年ぶりに聴いている。
とても不思議な思いに今浸っている。
BOO


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